日本語の「辻」という言葉(別ページ)

日本語の「辻」という言葉(別ページ)



 古事類苑地部・道路・辻の項目によれば、「辻」という字は早くも平安時代の承平年間(931~938年)に編纂された和名類聚抄に十字を表す国字として載っています。

十字 呉均行路難云、縱横十字成阡陌、〈今按、十字者東西南北相分之道、其中央似十字也、俗用、本文未詳、〉

 このように「ツジ(辻)」という言葉は「峠」や「畑」などの国字と同じように古い時代から存在した言葉です。そしてそもそも「辻」という国字を創作したということは、中国語には「辻」に相当する概念を漢字一字で表そうとする発想がなかったか、または「辻」という概念そのものがなかったということであり、一方日本では国内において文書を漢文で書くために「辻」を漢字で表す必要があった、ということです。以下に漢和辞典にある「道路」を表す漢字を示します。

      ・「みち」という意味の漢字(別ページ)

 このうち「行(コウ)」は十字路をかたどった象形文字です。しかしこの文字は中国語では「辻」の概念を示す漢字にはなりませんでした。現代の中国語でも「十字路、辻」は十字路口(Shízìlù kǒu)であり「平面道路交叉」と説明されます。これらの漢字をよく見ると中国語における「交差点」は「人間が今いる位置から前に進んでいくための空間」のように人が先に存在してその次に辻がある、人が辻を通り過ぎていくような何か動的なイメージを受けるが、一方日本語の「辻」や「追分」などは、「最初からそこに存在しており、人の生き死にかかわらず今後もそこに存在し続ける場所」のように人間の介在以前に場所が存在する静的なイメージがあるように思われます。
 民俗学からは日本の「辻」は必ずしも「四辻」の交差点ではなく、庚申塚道祖神地蔵などはむしろ「三叉路」に存在する場合もあることが指摘されています。「辻」という言葉の表す静的な場所性は、単なる交差点の意味しかない中国語の「十字路口」には感じられません。当時の日本人がどうしても国字の「辻」を作る必要にせまられたのは、この「辻」のもつ民俗学的な場所性の概念を含む漢字を中国語に見いだせなかったからではないでしょうか。
このことは、「辻」で始まる熟語を調べるとさらにはっきりします。

      ・辻ではじまる熟語(別ページ)

 「辻」についてほとんど唯一の先行研究である『辻の世界 ‐歴史民俗学的考察』(笹本正治 1991年 名著出版 TOKYO)では、「辻」を集落の中にあって人の集まる場所としての「辻」と、集落とその外部との境をなす場所としての「辻」に分けられて考察されており、そのうち前者は「祭りや相撲、能狂言や盆踊り」などの芸能が行われたり「市がたつ」場所であり、後者は疫病や妖怪、悪霊払いや盆行事、葬式、遊女による売春などが行われ地蔵や道祖神等が通行者や集落を守る守護としておかれていることが多いことが述べられています。このように「辻」とは単に道と道との合流点として人と人とが出会ったり、それにより賑わったりするだけの場所ではなく、人が人以外のもの、祖先の霊や時には人に害をなすアヤカシの類のものとも出会ってしまう場所として昔から受け止められてきたのであり、それは辻ではじまる熟語が単に道や交差点という地形用語よりも、宗教や芸能と関係のある言葉が廃れずに圧倒的に多く残っているという事実も、「辻」がオカルト的な意味を帯びた特殊な場所として古くから存在していたことの傍証であります。
補足:
白川静『字統』の「辻」の項目には「・・・ その意にあたる漢字に逵(キ)があり、四道交出の道をいう。(後略)」と書かれているが、間違っている。誤りが多々指摘される諸橋轍次大漢和辞典でさえ「逵」は【1.大通り 2.水中の空洞な道 3.=馗 4.姓(中国人の姓の一つ)】と漢語大詞典と比べても遜色のない解説で、「逵」は四方八方に通じる大きな【道】のことであり交差点や分岐点の意味は漢語大詞典に引用されている用例にも全く見当たらない。「逵径」という熟語に至ってようやく岔路(分かれ道)という意味が見いだせるが、これとて「逵」が大通り、「径」が小道、細道、横道という意味から、2つの漢字を合わせて初めて「大通りから別れる小道」という意味が出てきているのであって「逵」が「交差点」の意味をもつとは全く言えない。
 「逵」と「辻」の関係は、しいていえば日本人の難読苗字として「」(ツジ)さんとか、「中逵」(ナカツジ)さん等があるが、これから中国語の「逵」を日本語の「辻」と関連づけるのは無理である。そもそも「坴」は「陸の旁」の音符であり、「リク、ロク、ボク」の音を持ち、「キ」音の「逵」の偏旁が最初から本当に「坴」なのか検討を要する問題である。